吹奏楽の旅 福島正紀、恩師との思い出 番外編in中学・高校編その9
卒業式後、新年度に向かって、合奏練習をしていた。
確か春休みのある日、顧問のZ先生が今となっては笑ってしまうが、”大きな大きなラジカセ”をかついでやってきた。マイクもラジカセの内蔵マイクだけで、いきなり録音をすると言い出し、目的も教えられることもなく、行った。
・・・たしか2~3回くらい録ったかな。日々の説教・・・いや、ご指導をいただきながら。
そして新入生歓迎演奏なんかして、部員勧誘をおこない、落ち着いて、間もなく。
ある日、部活終了のご指導の時間に、Z先生は語った「普門館にいくぞ」
それはそれは、僕に至っては興奮、昇天し、ことばを二度くりかえした。
「FUMONKAN・・・普門館。」
部活内で「普門館」という単語はほとんどの部員、9割は知らなかったと思う。
しばらく間を空け、「バンドフェスティバルのオーディションに応募し、テープ審査で合格したので招待演奏をする」という経緯をZ先生は語られた。
そしてその「普門館」という会場は5000人が収容可能で、ステージは巨大でサッカーグラウンドをつくることが出来る程、大きい。演奏時間は30分前後とのこと。
田舎弱小吹奏楽部はZ先生にまた大きな世界へ導かれた。
とにかく弱小なので、一年生も入れ、ようやく60人くらいで演奏した。
曲目はリード「アレルヤラウダムス・テ」、小山清茂「木挽き歌」全楽章、あとは何かマーチだったか?覚えていない。
曲は大層な見栄えは良いが、楽器がたりない。。銅鑼も和太鼓も。
しかし、Z先生はご自身で銅鑼をつくり、和太鼓も用意した。
あれから数十年たったが、今、考えると、物凄い勢いがあり、”猪突猛進”23~4歳のZ先生。
自分と比較するのは申し訳ないが、23歳の頃の僕では真似、出来ないだろう。