吹奏楽の旅 福島正紀、恩師との思い出 番外編in中学・高校編その12
さて部長になったものの、私はコミュニケーション能力ゼロ。
同級生の女子もそうだが、男子ともあまり会話をすることはほぼ、ゼロ。
Z先生は何とか部員の輪を作るために、さまざまな工夫をこらす。朝七時からのランニング。多分、距離としては1.2キロくらい。終わったものから楽器がふけるというシステム。僕には意味がわからなかった。
それとは別に当時あった、FMで「ブラスの響」で僕は毎週、土曜日に全国の名門中学、高校の演奏に思いをはせていた。
北海道の名門、東海大付属、東北だったら山田学園、花輪高校、大阪のヨドコウ、天理、四国の名門、九州の福工、中村学園など、いっぱいあるが、それも田舎の吹奏楽部の部長には刺激的。
僕の音楽部活動、ヘンピだったが、僕は進学して名門校にいくつもりだった、普門館のステージにもう一度、立つために。
なので、僕は一人で我武者羅に学校にあったアーバン金管教則本をひたすらさらった。もちろん難しいところもあったが、書いてあるんだから必ず吹けるはずだと思い没頭した。
そして、上達し先輩たちを送る卒業式当日も僕一人対吹奏楽団で「戴冠式」を大音量でガンガン、ビュンビュンふきまくった記憶がうっすら。
もう何十年も昔のことなので、あまり覚えていないが、私の不手際?か何かで、Z先生にさしで、説教をされた。
僕としては今現在もなぜ説教をされるのかわからず、Z先生との溝は修復、不可能なぐらいひろまった。