ショパンについて

今年はショパンイヤーなのでショパンについて少し書いてみたいと思う。


フレデリック・フランソワ・ショパンはポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。


その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。


彼は生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、時として情熱的な作風の曲も多く見られる。


ショパンは幼少の頃からいろいろな面で才能を発揮し、ユーモアにあふれ、ものまねと漫画を描くのが得意で学校ではクラスの人気者だったという。


後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。


また、女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』、『幻想曲』、『バラード第4番』、『英雄ポロネーズ』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』等数多くの傑作が生まれた。


最後に同時代の作曲家でショパンの親友であったフランツ・リストの賛辞を持って締めたいと思う。


音楽はショパンの言語だ。自身のあらゆる感情を表現する神の言葉。


それは選ばれた小数の人々だけが理解できる感情。彼の音楽を支配するのは祖国ポーランドを想う心。


彼の芸術に神秘的で説明不可能な詩情を与えるのは祖国ポーランドの苦悶の叫び。この詩情はこれを真に体験したものには他の何物にも代え難いもの。


同時代のピアノは彼自身の内に在るもの全てを引き出すことさえできなかった。


つまりショパンは我々が最高の傾倒を注ぐに値する、誰よりも傑出した人物なのだ。


(一部ウィキペディア引用)


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