モルダウ・・・スメタナについてご存知ですか?

皆様、『モルダウ』は学生時代に合唱したり、オケでもやる機会が多い曲なので多くの方がご存知だと思います。


でも、作曲者スメタナ、曲が生まれた時代背景などは余り知られていないのではないでしょうか?


何とこのたび私は、『モルダウ』のライナーノートを某オーケストラの為に書くことになりました・・・物書き初仕事です。せっかくですので、あつかましくも『モルダウ』と『スメタナ』について皆様に教えちゃいます。


長文で退屈かと思いますが、我慢して読んでウンチクにして頂ければ幸いです!


チェコ国民楽派の開祖とされる作曲者のスメタナは、1824年ボヘミア北部のリトミシュルでビール醸造技師の息子として生まれ、若い頃にピアノとヴァイオリンを学び、音楽を学ぶためにブラハヘ卦いた。


彼は、ある貴族家の音楽教師の座を獲得し作曲家フランツ・リストからの資金援助を受け、24歳にして彼自身の音楽学校を設立。順風満帆、才能に溢れたスメタナだったが50歳の時に梅毒に起因して中途失聴者となる。


そしてスメタナが作曲活動の拠点にした、プラハのあるチェコスロバキアだが1918年オーストリア=ハンガリー帝国から独立する。 しかし、その後もナチスドイツ、ハンガリーなどの占領下にあり、第二次世界大戦後もクーデターが繰り返され悲惨な歴史を重ねつつ、1992年にチェコ共和国とスロバキア共和国に分かれ現在に至る。


そんな抑圧され荒廃した社会情勢の中、聴力を失った辛い晩年にもかかわらず、スメタナは決してあきらめる事なく迫りくる自らの死影に立ち向かいながらも、作曲活動を続け連作交響詩『わが祖国』を完成させた。


中でもニ曲目の『モルダウ』(Moldau,ドイツ語名)は一連の交響詩群の中で最も知られた作品である。 ヴルタヴァ川(モルダウ川)の、源流近くからプラハを流れ、エルベ川へ合流するまでの様子が描かれている。楽曲の最終部分には、第1曲「ヴィシェフラド」の一節も組み込まれ、スメタナの故郷を思う強い気持ちが随所に現れている。


勇気を振り絞り果敢に作曲を続けたスメタナだが、1884年に病の進行による脳障害により正気を失い、プラハの精神病院へ収容され、この地で60年の生涯を閉じた。


尚、『モルダウ』の最初の主題は、歌詞をつけて合唱曲や歌曲にも編曲されており、ドヴォルザークの交響曲第九番『新世界より』による「遠き山に日は落ちて」と共に、日本音楽に溶け込んだボヘミア音楽一つである。


以上です!・・・ ラッパ吹きの皆さんモルダウが作曲された背景を知ると、モルダウを演奏するのはキツくてシンドイけど頑張れませんか?




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