ファルク・マエルテンス先生との思い出
プロフィール
1972年メッペンに生まれ9歳よりトランペットを始める。1992年~1995年デトモルト音楽大学でマックス・ゾンマーハルダー教授に師事。またスウェーデンで特別留学生としてボー・ニルソン氏の下で学ぶ。
ピエール・ティボー、モーリス・アンドレ、アドルフ・ハーセス等のマスタークラスを受講。
1997年シュレスヴィッヒホルシュタイン音楽祭オーケストラとハノーファー放送響でベルリンのフィルハーモニーホール公演、ニューヨークのカーネギーホール公演でソリストとして招かれる。
1995年よりベルリンドイツ交響楽団の主席奏者を務めている。
先生との出会い
初めてマエルテンス先生を知ったのは、Nさんからの口コミだったと思う。
「グロート先生の後任が決まらずベルリンフィルのトラ(エキストラ)をちょくちょくやっているDSO(ベルリンドイツ交響楽団)の主席で若くて凄い奴がいるからコンサートに行こう、紹介するから」と言われ一緒にでかけた。
そのときは、ブルックナーのシンフォニーだったと思うが、確かに凄かった。最初から最後までギンギンで2ndのクラモーさんも、マエルテンス先生とゾンマーハルダー教授同門ということもあり張り切り方が違って、異様な盛り上がりのトランペットセクションだった。
(同門下生が揃うと、どこの国のラッパ吹きも一緒で、嬉しくてツイツイ白熱してしまうもの・・・)
終演後、Nさんにマエルテンス先生を紹介してもらった。先生は英語が堪能なのだが、何せ物凄い早口なので”ポ力~ン”としてしまった。
とにかく、近くポザウネ(トロンボーン)のオラフとDSO(ベルリンドイツ交響楽団)ホルンのポールと三人で講習会をやるからおいでよと誘われた。
鉄道大事故回避危機一髪
講習会までの間、時間がかなりあったので、ハノーファーの友人宅に身を寄せるためにベルリンからハノーファーに移った。
ドイツの鉄道は日本の鉄道と違って”時間通りに電車がやってこない”
はっきり言うと”いい加減”それが普通なのだが、講習会移動のとき、僕はそれが我慢できなくて1本早いICE(新幹線)で移動。
そして夜、TVを見てビックリ!
僕が乗車する予定だったICE(新幹線)は、1998年ドイツ鉄道史上最悪の死者186人負傷者453人のエシェデ事故を起こしたのである。
予定通りの列車に乗車していたら・・・と思ったら「ゾッと」した。 まさに、危機一髪。
講習会で
講習会は、ウーインゲンという物凄い田舎町のお城で開催されたが、景色もよく参加者も少なかったので快適な一週間だった。レッスンも有意義だったが、毎晩、Nさんとニ人でドイツの田舎町の風景を眺め、ビールを飲みながら将来の夢を語り、音楽談義を熱く深夜まで語ったのがとても懐かしく昨日のことのようである。
講習会はいたって普通のものだったが、マエルテンス先生はゾンマーハルダー教授のお弟子さんで、ニルソン先生のもとでも勉強した事があったので、私が日本で習った田宮先生の教えと共通の点が多く学び甲斐があった。
またワイマールから来た学生がプローベシュピール(オーケストラオーディション)のオケスタを特ってきたが、バレーやオペラがあり、マエルテンス先生が知らない曲も多く、僕はオペラについては日本で田宮先生に仕込まれていたので二人に教えるなんていう一幕もあり、ちょっとイイ気分。
そして最終日にコンサートを開くのだが、レッスンの結果、僕は『ヒンデミットのソナタ』と『ゲジケのコンチェルト』それとポザウネのNさんとホルンのドイツ人学生とトリオで『プーランクのソナタ』を演奏することに。
かなりキツメのプログラムだったが、リサイタルさながらで気分は高揚!
個人レッスンも順調に進みいざ伴奏合わせ!!
ただ困った事が起きた、何と伴奏者が非常にショボイ!“弾けない”のだ。確かにヒンデミットのソナタは難曲だ。3回やったが無駄、気分が高揚していただけ不安を強く感じ意気消沈。
そんな時、先生が城内のカフェに「ビールを飲みに行こう!!」と言い出し、マエルテンスCLASSは急遽、飲み会に変更になったのだった。
CLASSのメンバーは5人だったが色々な話をした。
とりわけ皆、私の携帯電話を見てあまりに小さく軽いのに驚き、日本に帰ったら送ってくれとのお願い攻めにあった。またこの時、偶然にもマエルテンス先生と僕は27歳で同級生だと知った。(それからはファーストネームで呼び合う関係に変わる。)
伴奏者については、私達が知らないところでファルクが相当激怒して主催者にクレームをつけたようだ。翌日にはシュトウットゥガルト音大のピアノ科の教授が伴奏者としてやってきた。
この教授との伴奏合わせは、今までに経験をしたことが無いくらい最高にやりやすい!グイグイ私の音楽を引っ張ってくれ、実力が発揮できて、質の高い音楽が創造できて、合わせもすぐ終わった。
そして、最終日のコンサートは大成功で喝采を浴び、地元の皆さんにも大変喜んで頂き、オラフやポールからも色々と賛辞とアドバイスを頂いた。
ベルリンヘ
そして、予想外だったのがウアラウプ(夏休み)のためグロート先生のレッスンを受けられないことになり暫く、ベルリンでファルクのレッスンを受けることになったのだ。
ベルリンでは、いつもながらのフィルハーモニーの練習室とファルクがDSO(ベルリンドイツ交響楽団)のトランペットメンバーの部屋を練習場所として用意してくれたので不自由な事は一切なかった。
しかし、やはりファルクも若いだけあって?色々と用事で忙しいらしく30分~1時間遅れは当然で、レッスンが時間通り始まった事はなく、いつも彼に「レッスンだから早くきてよ~」なんて電話ばかりする有様。
その後、ファルクにゾンマーハルダー教授のレッスン受講を強く勧められ、田舎町のデトモルトで暫くレッスンを受け、帰国した。
同級生として
彼とは暫く会っていないが、同級生ということもあり、師弟という壁を越えて非常に気になる存在だ。
先日、TVで「ローエングリン」をやっているのを観たが、相変わらずパワフルなラッパに嬉しくなった。
見た目は少し髪が薄くなってきたようだが・・・(笑)
彼もPMFなど教育活動に携わっているが、何れはもっと素晴らしい教師になると思う。お互い良き教師として世界の音楽界、ラッパ界に貢献していくことが出来れば最高だ!
但し、彼がわたしのような異端児かどうかは不明だが・・・