コンラディングロート先生との思い出

プロフィール

コンラディングロート先生

8歳よりトランペットを始める。
1964年青少年音楽コンクールに優勝、ベルリン高等音楽院で音楽の勉強を始める。国立ベルリン音楽大学(現ベルリン芸術大学)卒業後、1968年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に第3トランペット奏者として入団。

1970年から4年間ベルリン・ドイツ・オペラに移籍し、首席トランペット奏者を務めた後、1974年から1998年の24年間、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席トランペット奏者として活躍した。 早くから後進の指導に熱心で、在任中からベルリン・フィルハーモニーのオーケストラ・アカデミーで教鞭をふるい、また1988年からはベルリン芸術大学の教授に就任した。

ブラス・アンサンブルのジャーマン・ブラス(German Brass, 1984年にドイツ金管五重奏団から改称)結成時からのメンバーとしても活動した。

グロート先生との出会い

卒業後、僕は自身の留学にあたり、誰に習うべきか悩んでいました。
学生時代には、ハンブルク音楽大学のカーレンゼ教授、スウェーデンのニルソン先生、パリ・コンセルヴァトワール音楽院のティボー教授等、多くの外国の先生に習ったことはありましたが、決定的なものは無く、ただ漠然と兄弟子の姿を見て、ドイツで勉強したいという気持ちだけは確かにありました。

悩んだ挙句、久しぶりに田宮先生のレッスンに出かけ相談したところ、「ベルリンでグロートのところで勉強してこい、しっかり準備しときなさい」(※田宮先生とグロート教授はベルリン芸術大学のヴェゼニック教授クラスで学んだ同級生)の一言を頂き数ヶ月・・・

ある日、田宮先生から「YAMAHAで公開レッスンをやるから行ってきなさい」とのこと。当時、卒業して間もない僕の頭の中は学生時代の影響もあり、ベルリンフィル、ワーグナー、ブルックナー、シュトラウス、ドイツ式トランペットの響き一色だった。 だから迷わず、モンケのB♭管でワーグナーのオーケストラスタディーで受講する事に決めた。

普通、公開レッスンではソロ曲のレッスンを受けるのが定番。にもかかわらず、世界最高峰のオーケストラの一つベルリンフィルのグロート先生にこのプログラムで挑むとは、今、思うと狂気の沙汰としか言い様がない。

しかし、学生時代にカラヤンアカデミー、パリコンセルヴァトワール等の学生と演奏旅行をしまた、「英雄の生涯」「バラの騎士」「ティル・オイレンシュピーゲル」「展覧会の絵」などオーケストラの大曲を演奏しつくしていた当時の僕の頭の中に”恐れ”はこれっぽちも無く、自信満々で、まさしく若気の至りであった。

運命の日

公開レッスン当日、会場に到着し音出しの控え室に向かうと、何やら物凄い音圧のとてつもなく速い音階練習が開こえてきた。

「やっぱり公開レッスンには凄いテクニックをもった受講生がくるんだなあ・・・」と、少々、圧倒されつつ扉を開けるとビックリ!
グロート先生とクレッツアーさんがウオームアップをしているではないか!

あまりのテクニック、とろけるような柔らかく輝かしい音色に圧倒され僕は「ハロー」だけ挨拶をかわすと音出しどころではなく凝固してしまった。

そして、当時ドイツ語を話せなかった僕は、受付をされていた亀山氏(現、Toshi Atelier代表、当時YAMAHAにいらした)のところに”すっ飛んで行き”通訳を頼み「田宮先生の弟子です、あなたのところで勉強したいんです。田宮先生からお話を聞いていらっしゃいますか」と伝えて頂くと・・・・

先生:「うん、聞いている、僕のところで勉強するのは大変だよ、まず、今日のレッスンで様子をみよう」とだけ仰ると、グロート先生は黙々と何も無かったのようにウォームアップを続けられた。

第一関門突破!

公開レッスンを待つこと3時間。
いよいよ、出番になり、ステージに上がると会場は満席。

アマチュアの人達、音大生だけでなくプロオケの人達も多数で、世界のベルリンフィルの主席相手にオ-ケストラスタディーを選ぶ”奇人”がいるとは!といった空気が漂っていた。明らかに好奇の的にされていた。

しかし僕は意外に落ち着いていた。 次々に出される課題、転調しての演奏、想定外ではあったがガムシャラに自己主張をしながら吹きまくった。
(このレッスンのレポートはPIPERS1996年”181“号に掲載アリ)

この日、先生はYAMAHAのC管を使っていたが、私のモンケのB♭管で本場のワーグナーのお手本を聞かせてくれた。 190cmを越える長身の引き締まった身体から響き渡るトランペット音にはとても言葉では言い表せない“美”と”魂”がこもっていた。

何とか公開レッスンも無事終わり、再度、グロート先生を訪ねると「GANZ GUT! 秋のJAPANツアーの時にレッスンするから連絡しなさい。」との一言を頂き、ホッと安心した。

左:クレッツアー氏 右:グロート教授
左:クレッツアー氏 右:グロート教授

再会

そして秋、待ち焦がれていたベルリンフィルがやってきた。
”「連絡しなさい」”と言われてもどうすればいいのか分からず、田宮先生に相談したらアッサリ「オ-クラかニューオータニに泊まっているから電話してみなさい」と言われ、片言の英語をメモに書きいざ電話。

電話してみると、ホテルの交換手があっさり「おつなぎします」と言い、呼び出し音ニ回くらいで「グロート」といきなりグロート先生につながりビックリ!

私:「ハッ、ハロー、プロフェッサー、ジス イズ フクシマ スピーキング、ドウー ユー  リメンバー ミー?」

先生:「イエス、元気にしてたかい、明日、10時からマーラーのプローベ  (リハーサル)があるけど 来るかい?」

私:「はい。」

先生:「OK、プローベの後、レッスンをしよう、レッスン代は90分でフィフティーンサウザンド円」

私:「はい、ありがとうございます」

といって電話を切った。僅か2~3分の電話だったが大汗をかき、しまいにはレッスン代が「fifty thousand」5万円か「fifteen thousand」1万5千円かわからなくなり焦って、田宮先生に電話しレッスン代を聞くありさま・・・・

翌日、プローベを見学するためにサントリーホールにグロート先生を訪ねた。 今回がベルリンフィルを生で聞くのは2回目。一回目は5年前で、その時のプログラムはブラームス、あまりにも美しかったけどトランペットの活躍がなく、ウトウトしてしまい覚えていない。

しかし、さすがに今回のマーラーの交響曲「復活」ではベルリンフィルの音量、音圧、響きに圧倒された。 そして先生のダイヤモンドのように美しい音色のソロに魅了され、その後に過酷なレッスンが待ち受けているなど思いもせず酔いしれていた。

夕方、サントリーホールの楽屋でレッスンが始まった。
ウォームアップは2オクターブ、スラーでのスケール、タンギングの練習等、非常にハードで斬新なパターン。楽譜は全て手書きだったので、先生が普段練習しているものと思われる。

僕はウオームアップを含めて1時間の音階練習でバテててしまい、音が出なくなってしまった。でもレッスンの残り時間は30分もある!次は曲だったが、もうスカスカ・・・第一日目は参敗。

三日間ハードなレッスンだったが、何とかペース配分をつかみ、グロート先生のクラスではどんなレッスンが行われているかを学び、また多くの課題を与えられた。

最終日、マーラーの交響曲「復活」の本番を聞きにいった。
本当のベルリンフィルを知ったコンサートであり、鳥肌が立ち、先生のソロに背筋がゾクゾクし胸が熱くなり感動した。

この先生についていこうと決心した。

いざドイツヘ

96年ベルリンフィルの日本ツアーも終わり、年明け頃、グロート先生に近況報告を兼ね手紙を書いた。暫くすると先生から手紙が届いた。

あまりにも達筆すぎて全く読めなかったので、またもや田宮先生に泣きついて読んで頂いた。内容は「親愛なる正紀、講習会やるからドイツにおいで」とのことだった。

ドイツのとんでもない田舎町のお城で開かれるのだが、急いで講習会の申し込みをし、飛行機とホテルを予約した。

初海外なのでドキドキものだが、大急ぎでドイツ語学校の特訓コースに入学し、練習と準備とテレビ撮影の仕事に追われながらも、僕は夢と希望に燃えていた。

しかしそんな努力と希望も虚しく、確か渡航5日前に「都合により、講習会は中止します」と講習会の事務所からFAXが届いたのだ。軽く目まいを覚えた。

グロート先生に連絡をとったが、ベルリンフィルの演奏旅行で連絡がつかない。とりあえず、航空券は無駄に出来ないので“行けば何とかなる”と思い込みベルリンへ、アポなしで武者修行に行くことにしたのだ。

幸い、友人の友人であるポザウネ(トロンボーン)のNさん(現、エッセンのオケに在籍)がベルリンで勉強していらっしゃるとの事なので、面識も無いにも関わらず、図々しくも彼を頼り渡独した。

トラブル発生

飛行機はアムステルダムで乗り換えだったのだが、荷物検査で黒人の女性係官にトランペットをたくさん持っているので怪しまれ、因縁をつけられた。

正直に理由と目的を伝えたが、明らかに悪意を特って、私を別室に連行しようとしているのが感じられ「不法入国者として扱われる・・・。」恐怖感に背筋が凍った。

ここで連行されたら、飛行機には乗れないと思った瞬間、知ってる限りの“英語とドイツ語”と日本語で怒鳴りちらした。

カウンターは一瞬騒然となり、他の係員もスッ飛んできて僕の話を聞いてくれ、何やらその係員と相談し何とかその場で放免。

暫く興奮していたが、出国前にドラマの仕事を一緒にしていた高嶋政信さんが「アムステルダム空港のハイネケンは美味いから絶対飲んでね!」と言っていたのを思い出し気分直しにBARへ・・・

そして本場のハイネケンを飲んでみたが、それが美味いこと美味いこと”五臓六俯に染み渡る”とはまさにこのことであり、異国での緊張と興奮は、心地よい酔いとともに治まっていった。

ベルリンに着いたのは夜中だったが、Nさんがホテルを手配してくれていたので”ベルリンは”非常にスムーズな出足。

彼は旧東ベルリンのホッホシューレ(大学)でベルリンフィルのゲスリング教授に習っているが、今、ビュルツブルグに居るという事なので、翌日はICE(新幹線)でビュルツブルグを目指した。

ビュルツブルグにて

ビュルツブルグには、学生時代共に勉強したYが留学していたが、あえてNさん宅で過ごした。Nさんにはご希望の広末涼子のCD(当時、日本では中学生タレントとして大人気!)と、NさんのガールフレンドのTさんには、和菓子のお土産をお届けした。

そして一緒に演奏したり、観光に連れて行ってもらったり、ドイツ生活における基本ルール、”乾杯の時は相手と目をあわせる”、”歩道の茶色いラインは自転車専用なので歩行禁止”また音楽事情などを教わり、楽しい時間を過ごし、そして数日後、彼の車でベルリンに戻った。

ブレーメンにて

ベルリンフィルが戻ってくるまでまだ数日あったので、その間にブレーメンのトランペットアカデミーで勉強している、日本で一緒に勉強した台湾人の友人のMを訪ねる。

彼とは二年ぶりの再会で懐かしく、積もる話は山のようにあった。

そして彼のところで世話になりながら、田宮先生・グロート先生の先生でもあるヴェゼニック教授の先生であったハンス・ボーデ教授の最後の弟子ともいわれるルディー・ケップ先生(ブレーメンフィル奏者/ブレーメントランペットアカデミー講師)のレッスンを受けに訪ねる。

日本でも数回レッスンしていただいていたので、ケップ先生は私の訪問を非常に喜んでくれた。レッスンは「ワーグナー」「ブルックナー」のみ!

特に「ワーグナーのオペラ」については、ストーリー全部と場面を説明してくれ、最初の前奏曲からアリアを全部歌い、正統派のワーグナーの吹き方を教えて頂いた。だから、1回のレッスンがオペラと同様に3時間以上はかかる!!でも非常に有意義。そして、秘蔵のボーデ教授から譲り受けたというoldモンケも吹かせてもらった。

毎日夕方からは、BECKS(ブレーメンのビール)の工場直営飲み屋で、色々な経験談や昔のバイロイト音楽祭の話を聞かせて頂いた。
不思議なもので、僕は殆ど英語で彼はドイツ語だけ・・・それでも世界共通、酔っ払いは話が通じる!イイ思い出です。

数日ケップ先生のレッスンとブレーメンを堪能し、ベルリンに戻った。

やっと連絡とれたと思ったら・・・
ベルリンに戻り、何とかグロート先生と連絡がとれたのはよかったが、僕がベルリンに居ることにグロート先生はビックリされた。講習合が中止になったことを平謝りされながら提案を頂く。

「イースター音楽祭(キリストの復活祭)でザルツブルグに行くことになっているから、ザルツブルグに来れば一週間レッスン出来るよ、明後日の午前9:00に劇場前のニーメンツカフエで待ち合わせね」との事なので、急濾、ICEに乗って8時間、ザルツブルグを目指す。

ザルツブルグにて

翌日はザルツブルグを散策し、遅刻しないように待ち合わせ場所の劇場とカフェまでの道を念入りにチェック。次の日、朝9時に劇場の前の二ーメンツカフェにグロート先生が現れた。

先生は昼過ぎからブローベがあるにもかかわらず「遠いところよく来たね!」と言ってリチャード・ギアのような優しい笑顔で迎え下さった。
しかし、レッスンは一回3時間!いつも通り厳しいものであり、コテンパンにやられての繰り返しの日々。

今回ベルリンフィルはベルクの「WOZZECK」がプログラムにあったので、レッスンのオーケストラスタディーでは「WOZZECK」が中心でキツイキツイ。

しかし僕は、学生時代にカラヤンアカデミーのメンバーと演奏旅行で組曲版を演奏したこともあり、また、田宮先生のレッスンでもしごかれていたので初見にならず意外に余裕があった。
(田宮先生に感謝!!)

今回グロート先生は、オケではなくバンダ(オーケストラピット外で演奏するラッパ隊)だったので、オケスタはオケのパートだけでなくバンダのパートもレッスンしていただいた。これはさすがに初見だったので、少ししんどかった。

「WOZZECK」のバンダは舞台上を行進する演出なので暗譜が必要であり、先生が暗譜出来ているかチェックするなど、逆レッスンをすることもあり楽しいひと時も・・・・

プローベ(リハーサル)開始

ザルツブルグでの生活は、グロート先生が私をトランペットセクションの皆さん、ビオラの土屋さん、コンマスの安永さんに紹介してくださり、また、私のバックステージパスまで使宜を図ってくださったので、練習場所とプローベの見学には不自由が無く、非常に快適な生活であった。

プローベの時間となり、アバドがやってきて終幕から始まった。ピットから聞こえてくるラッパ4人のユニゾンはバッチリ。そしてTutti(合奏)は地響きと呼ぶに相応しい演奏。最後のシーンの難しいラッパのソロもクレッツアーさんはパーフェクト! ブンダバ!!

さすがベルリンフィル!とは思ったが、グロート先生曰く、やっぱり「WOZZECK」はベルリンフィルにとっても、非常にテクニックと集中力が要求される難しい曲とのこと。

そんな話をしながら見ていたが、暫くたってバンダの練習に。バンダは行進しながら吹くのだ。確かに行進しながらでもベルリンフィルのサウンドだけれども、グロート先生、プラットさん始め管楽器のゴージャスなメンバーが“足の上げ方’‘・”行進の仕方”を演出家にダメだしされている姿に、正直苦笑してしまった。

感激

ある日、レッスンが終わって楽屋でブラブラしながら、カラヤンアカデミーの学生と世間話をしていると、先生が突然登場し、ケースから楽器を差し出し・・・

先生:「この前言ってたラッパ選んできたよ!」
私:「・・・・・・・????」
先生:「東京でレッスンしてたとき、ドイツ管のC管トランペットを探しているっていってたよね」
私:「はい・・・・・」
先生:「BISHOFSHOFENのLECHNERに行ってきたよ。12本あったげどこれが一番良かった。」

何と、来日したときに私がボヤいていた事を憶えていてくださったのである。 しかし、私の頭の中に先ず浮かんだのは「!!!!お金がない・・・」

先生:「今回は講習会のために準備してきてくれたのに、中止になってしまって本当に申し訳なかったね。」
私:「こちらこそアポ無しですみません。それよりも今、その楽器の代金5000DM もお金持ってないん ですけど・・・」
先生:「そんなことは問題ない、7月に日本に行くからそのときでOK。またレッスンでしごいてやるから しっかり練習しときなさい。」

僕は先生の真心に胸が一杯になった。

退団後の再会

数年後、留学から帰国し暫くしてから、グロート先生がベルリンフィルを退団することを田宮先生からお聞きした。何ともいえない寂しさだった、後任は中々きまりそうにないとのこと。

僕はといえば、今回はドイツの色々な町の大学の先生を訪ねて、レッスンの進め方を勉強するために短期間の渡独。多くの先生にお世話になり、様々な育成手法に触れ大きな収穫があった。

そして、やっぱり最後はベルリンである。グロート先生に連絡をとるとヴァルトビューネ(森の劇場)のコンサートにトラ(エキストラ)で出るとの事なので、再会を約束し聞きに行った。
やはり初夏、シーズンの最後にはベルリンフィルのバルトビューネコンサートのアンコールの「ベルリンの風」で口笛を吹かない事にはドイツに来た気がしない。

プログラムはラベルの「ボレロ」と何かだった、他の曲は覚えていない。しかし、久しぶりに見るグロート先生のいるベルリンフィルはやはり何かが違う。

先生が中央にどっしりと座っているだけで、オーケストラが威厳を発し引き締まるのだ。

パユ、ドール、クレッツアー、アーントのソロが続き盛りあがって、そしてその頂上をグロート先生のビッコロトランペットが突き抜け、ベルリンフィルの巨大な響きのうねりを艶やかにする。

僕はやはり感激派なのか、先生が座っている姿を見るだけでゾクゾクし、胸が熱くなってしまった。 グロートオーラだ。

23時にようやく終演し楽屋を訪ねると、先生は既に移動のバスに乗っていられたので、ジェスチャーで今晩TELしますと伝えて、ベルリンフィル一行のバスを見送った。

翌朝、演奏旅行でハンガリーに出発するという事なので、空港まで見送りに行き、昨日の興奮を伝え、日本での再会を約束して別れ、数日後、僕も帰国した。

学んだこと

私がグロート先生と勉強させて頂いて学んだことは、音楽は勿論だが
他にも二つ。

一つは今まで学んだことを教師として、弟子や生徒に伝えていく事。
即ち、日本の音楽文化向上への寄与貢献。

そしてもう一つは、演奏家として自己管理の徹底だ。(禁煙、節酒、早寝早起き、体づくり・・・etc)

私の生活はグロート先生と知り合ってから激変した。学生時代、田宮先生にかくれて吸っていたタバコをスッパリやめ、深夜まで飲み歩く生活をやめ、早寝早起きをし、スポーツクラブに通い体を鍛え、食事も塩分を少なくバランスよく取るようになった。

特にジョギングはピーク時は一週間に40キロ以上走り、一ヶ月で160キロは走っていた。おかげで体脂肪率は一桁台となりアスリートのような体になってしまい誰が見てもクラシック音楽家とは思わないだろう・・・ この行き過ぎた几帳面な自己管理の徹底が、もしかしたら私の晩婚に拍車をかけているのかもしれない・・・(苦笑)

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