彿坂咲千生先生との思い出

プロフィール

1956年佐賀県生まれ。武蔵野音楽大学卒業。トランペットを故小林高彦、戸部豊、福井功、アラン・カークスの各氏に師事。大学4年時に東京佼成ウインドオーケストラ入団。1979年、パリ開催のモーリス・アンドレ国際コンクール、ブラスアンサンブル部門3位入選。同年日本フィルハーモニー交響楽団に入団。 1982年、ドイツ、ミュンヘン留学。 元バイエルン放送交響楽団首席トランペット奏者チャンドラー・ゲッティング氏に師事。同オーケストラにエキストラとして出演、帰国後 日本フィル交響楽団に復帰。 1990年、NHK交響楽団入団、2016年定年退職。 現在、武蔵野音楽大学教授、洗足学園音楽大学客員教授。 PBQ(フィルハーモニア ブラス クインテット) 、ザ・トランペットコンサート、J’z Craze(ジェイズ クレイズ)、Cowardice Paradice(クワダイス パラダイス)、等 ジャンルを超えて活躍中。

先生との出会い

僕が入学した1年目は、室内楽の授業のみだったので、廊下ですれ違う時にご挨拶をするだけだった。 毎週土曜日の朝10:30 から室内楽のレッスンがあるのだが、佛坂先生はいつも9時にはいらっしゃって、学生に混じって金管ロビー(桐朋の金管楽器の学生が練習している通路)で時間ギリギリまで静かに練習している姿には非常に親しみがわいた。 佛坂先生にお世話になったのは3年目からだった。正直、「やった一!」というのが感想である。それは、佛坂先生のクラスになると年にニ回の発表会の後、江古田に招待していただいて、盛大な飲み会があるという、いかにも貧乏学生が喜びそうな理由からだ。 でも、何よりも優しく気さくで素敵な笑顔の先生と、色々お話がしたかった。

室内楽のレッスン

意外なことだが私は几帳面そうにみえるらしい・・・が、変なところだけ几帳面で大体が大雑把。”雰囲気”重視の為、アンサンブル(室内楽)は多少、楽譜通りじゃなくても、バランスが少し悪くても『雰囲気』がカッコよくてイイ響きがすればイイと思っていた。 だから、うすうす『緻密さ』の重要性を感じつつも先生の仰るご指導は、右から左への状態。しかし、その重要性は卒業してから大いに痛感することとなった。
個人レッスン
佛坂先生は4年目にトランペット科の講師に就任され、個人レッスンもして頂くことになった。 だからレッスンは田宮先生と佛坂先生の半々である。レッスンが増えたのは楽しくもあったが、さらうのが間に合わずハードな日々に。ドイツのオペラオケ出身の先生と日本のシンフォニーオケ現役の先生の仰る事は根底にあるものは同じであっても、当然、日本とドイツのスタイルの違いもあったため戸惑いの連続。 それでも佛坂先生は私の迷いを敏感に察知し、決して強要することなく、受容しながら育ててくれました。

卒業試験

私の卒業試験課題は、“古典~現代を含むコンチェルトとソナタ”と”オーケストラスタディー”(オーケストラのトランペットの有名で難しいメロディー集)と多岐に渡り、オケスタは(Probespiel)から20曲。特にオケスタは自分で選んでリストを作成提出し、その中からその場で教授陣から指定されるといった具合で、試験時間は1時間近くになる大変なものだ。 日本のプロオケの入団試験の一次だって、ハイドンのコンチェルトの第一楽章の一部を吹いてオケスタ2~3曲、そして二次試験でオケスタ10~12曲。それを考えるとかなり厳しい。ドイツのディプロム(国家演奏家資格)試験並の内容だ。 先生と相談し、持久力と持ち味を活かすプログラムを考え、トレルリの「コンチェルト」・アルトウニャンの「コンチェルト」・ヒンデミットの「ソナタ」にした。しかし、オケスタ20曲だとあまりにも曲が多いので選びようがない。 自分でリストを提出したものの、アルペンシンフォニーやドメスティカシンフォニーが指定されないことを願った。 試験当日、やはり続けてソロを三曲も吹いたら、さすがに”ヘロヘロ”で完全に白旗状態・・・ 最前列に田宮先生と佛坂先生はじめ、金管楽器の先生方がお座りになり、優しい様子でコソコソお話をされて、「レオノーレのファンファーレ2番、3番、ぺトルーシュカ、マーラー5番冒頭」といった、比較的余裕のある課題を与えて下さって試験は無事終わった。

感謝

佛坂先生は、多忙であるにも関わらず、コンチェルトのカデンツァをN響の同僚の方から借りてきて下さったり、留学の為の推薦状を書いて頂いたりと、お世話になりっぱなしでした。 そんな温かいご指導のおかげで、僕は無事、卒業することが出来ました。

卒業後

卒業してから、佛坂先生の言葉を中々素直に受け入れられなかった自分の倣慢さを反省。 学生オケでは、soloトランペット上吹きで好き勝手に吹いていたが、仕事では下吹きの仕事がほとんどだった。そして、上手く吹けないたびに、まさに「ああ、これだ、佛坂先生が仰っていたのは!」と気づき、何度、猛省したことか。 それでも自分は上吹きだと思っていたが、気づいたら下吹きになっていた。 今ではすっかり下吹きという仕事の魅力にとりつかれてしまっているが、それは佛坂先生、田宮先生、おニ方とも下吹きなのでその影響なのかもしれない。 また、最近、佛坂先生はJAZZでもJ`z Crazaというユニットを組んでアルバムを出すなどご活躍されている。偶然にも私も、最近クラシック以外の曲でsoloを楽しむようになった。やはり、これも佛坂先生の影響ではないかと思うこの頃です。
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